KOHEI TAKAHASHI

WORK

HARADA-san

HD VIDEO(58m52s), text, Panel, etc
2013

「HARADA-san」は、京都のギャラリー界隈で有名な存在であるアートウォッチャー「はらださん」への数ヶ月に渡る撮影・取材をもとにしたドキュメント形式による1時間の映像と、「はらださん」自身の口伝による「はらだ個人史」が書かれた年表によって構成された作品である。映像と年表はギャリーに建てられた1枚のパネルの表と裏にそれぞれ映され、記述されている。

映像では「はらださん」の日本のアート・社会に対する想いからはじまり、愛用の自転車の手入れ、生活、ギャンブル、思い出の場所への訪問、撮影者(高橋)とのやりとり、市内のギャラリー巡りの様子などが映される。一方「はらだ個人史」を刻む年表では、天才と言われた少年時代、音楽や映画に魅了された思春期、シネクラブや芸術、学生運動に巻き込まれ没頭していった学生時代、結婚し居住地を変えながら京都に戻るまで年月、離婚し京都のアートシーンに関わり始めた90年代、ホームレス生活から生活保護を受ける現在の生活までが綴られている。

「HARADA-san」の特長はいくつかある。
この作品を、「はらださん」の存在を、第三者へのインタビューや検証を一切入れず制作した故、映像、年表は虚実の判別がつかない箇所がいくつもあり、且つ演出や創作を想像させるエピソードが垣間見える。またTV等の一般的なドキュメンタリーにみられる、主義主張やメッセージを組立てるはずのストーリーがない、恣意的な編集の映像の在り方である。その恣意性は「はらださん」の口伝を元にした年表のエピソードにも同様に現れる。

明確なルールや設定の中で起こる出来事・行為を記録し、編集して来たこれまでの私の制作スタイルと、「HARADA-san」は異なる。構造やルールを規定し制作してきた映像作品から、撮影を進めることにより発見される事柄によって作品の構造をその都度作り上げるスタイルへの変化である。つまり予め着地点を定めシステマティックに制作行うのではなく、取材対象(モチーフ)と向き合う中で得られる情報やそこで引き起こる感情を、如何に描写するかという問題に向き合っているのである。「HARADA-san」はその最初の作品である。それは「はらださん」を媒介とした、とある「アーティスト」のポートレートであり、日本社会におけるマイノリティーの在り方について、展覧会という形式を以て綴った詩であると私は考えている。

 

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